2007年12月22日土曜日

何でって聞くのもなんだけど、なんで?じゃあ、来年はもっと行かないってこと?

2007年12月16日日曜日

pasko

mousugu christmasu. philippines ha sekai ichi christmas ga nagai tte no ga jiman rashii. tonikaku christmas zuki dashi. sekaijuu ga christmas ni nattemasu. sorede uchinimo christmas lights tsukechaimashita.

hehe

sou tsumari honyarara tte koto. philippine de shiriatta hito. demo nihon kaecchatta. shikamo osaka. hikkoshi shite irai kinjo no net cafe gayoi nanda. de koko nihongo ga utenai. yomerukedo. nishiyoshi ha fuyuyama ikuno?

2007年12月6日木曜日

ふむ。

言おうとは思ってたけど、俺にも彼女ができた。これも内緒ね。つじさんは好きだよ。でも違う人。少し複雑な気持ちもある。ちなみに日本人。

2007年10月20日土曜日

そういった犯罪に引っ掛かるやつは、また、引っ掛かるっていう、君の考えは案外的を得ているようだね。

2007年10月19日金曜日

田舎

えーと、二年会議とやらやったらしいね。はんちゃんにいつかやるからやる時には参加してねって言われてたけど、ちょうどそのあたりで、出かけてました。メインに田舎Zambales州のIbaのさらに田舎のちっこい農村に行ってきました。知り合いたずねて行ったんだけど、バス何本も乗り継いで、さらに車道から山道みたいなのを三十分くらい歩いてたどり着いたのは、すぐ横に海のある、とっても静かなマンゴーと米の村。面白くてきれいで写真撮ろうともうことは数多くあったのですが、あいにく持っていかず。

   電気はぎりでと通ってるんだけど、水はしばらく歩いた田んぼの真ん中の手こぎポンプからしか取れない。毎日みんな水運んでる。海でべとついた体はポンプから直に洗う。田んぼの真ん中の水浴びはなんだか気持ちい。夜は真っ暗、星がほんとにたくさんで、山を思い出したり、にやにや。ここで小学生三兄弟と仲良くなって一緒に海いったり、近くをあちこち連れてってもらったんだけど、夜は、普通にお酒を飲んでました。静かで空気も良くて素敵なところなんだけど、住んでる人には退屈なところなのかもしれない。現に自分も三日目帰る日には飽きてきていたし。木の枝にくくりつけたブランコ、バスケ、海、手作りのかっこいいパチンコで魚打ち、いくつかの家にはテレビ。でも、それだけといえば、それだけみたいなもんだし、お菓子もあんまりない。やっぱりこの子たちも大きくなったら外に出て行ったりするのかなあって考えたりしました。

ちなみに米どころだけあってか米がむしょうにおいしかった。大人たちは農業の傍ら(苗植えと収穫時期以外はほとんどやることない)、近所の大養魚場に雇われ働いてるらしい。学校は車道まで出てさらにそっからまたしばらく歩いた、ずいぶん遠いところにあるらしい。

 当初、ピナツボ火山とその傷跡を見に行くというのが予定のひとつだった。地図で見るとここらへんも案外遠くないみたいだったから、どうかな、って期待してたんだけどなんてこともなく、唯一異常だったのは、川ぐらいだった。そこで、アンヘレスってとこを目指すことにしたんだけど、途中、有名だし、仕方ないから寄っとくかって気持ちで、立ち寄ったスービックで長居することに。港にはアメリカのでっけー軍艦が停まってて、素直にかっこいーって思いました。甲板にはたくさんのアメリカ兵がいてボールを投げたりして遊んでる人たちもいました。夕暮れ時になると、僕のいた港公園みたいなところのフィリピン国旗を降納するため、警官がやってきて、僕も起立させられました。ふーん、こんなもんかあって思ってたら、今度は船の上でもそれがはじまり、アメリカ兵たちは敬礼、星条旗が降ろされていくのでした。なんだか、この場面が妙におもしろおかしかったです。最近フィリピンでは、愛国教育みたいのが重要視され実行されてるようです。英語に支配され(実際、現地の人は現地の言葉で会話することが多いのですが、それでも、英語の権力、権威は脅威的なのです)、アメリカ文化に染められそうなフィリピンに不安を抱く人たちも少なくないよう。

 ちなみに、その夜泊まったのは、そこの港で知り合った、兄ちゃんち。もちろん前のこともあったし、結構警戒はしてました。今日ここを発つつもりだって言ったら、今日泊って明日の朝行けばいいじゃんっていう兄ちゃんに、もうなるようになれって思ってついていきました。警戒するのもいいけど、あんまり警戒ばっかしてたら面白くないだろ!結果的には、何事もなくて、また来いよなーって別れました。今になっては、あの時あんなに疑ってた自分が恥ずかしいくらいです。出されたコーラも溶かし込んだものが見えにくいように黒い飲み物にしたのか、って思ったりとか笑。

 さらに、面白いのが、この家族。姉ちゃんがアメリカ人の夫持ち(さすがスービック)で、その姉と母親は一年の大半をアメリカで暮らしてるらしい。で、この兄ちゃん自分もアメリカ行けばいいのに行ったことないのには理由があって、彼、シャブも扱う真珠売りで、過去三回窃盗とかで投獄されててパスポート下りないそうな。笑。これ初めに聞いてたらさすがに行かなかったけど、家に行ってから聞かされたんじゃ覚悟決めるしかないよね。母親は、うちは何にもトラブルがなくて、良い家族なんだって妙に連呼してたのが逆に超怪しかった。ちなみにちなむと、この家を含むそこらへんは数少ないイスラム教の集落でした。

2007年9月28日金曜日

天気は来た頃とさほど変わらない

 なんだか最近僕の人生にはいろいろ変化が起きています。家にいる時間が少なくなった。言葉の壁が薄くなった。と同時に、言葉だけじゃないコミュニケーションの重さ、ってかおれにはそれができるんじゃないかって思い始めてる。それから、みんな(君たち四人のことね)が帰った後、ホームシックみたいのをぎゅーと感じた。ホームシックでしょ、って言われて、いいや絶対違うって思ってたんだけど。さらに、その気持ちもまた消えてきたり。夜中メールする人ができたり。
 おれ結構自分がフィリピン人になってきたと思います。なんかもう、一人暮らしもできそうなくらい。実は一つめぼしいところがあったので今度見に行ってみようと思います。
 来週くらいで、初めの学期は終わります。だから今は、みんなレポートやら、試験やらでてんてこ舞いのはずなのに、僕はなぜかたまたま、そんなのがない授業ばっかで、のほほんとしています。むしろいろいろ課題与えられても良かったなくらいの気持ち。ま、そんなのは置いといて、問題は、そのあとはじまるsemester breakなのだ。一か月近い休み。学校の人はみんないろいろ計画立てたりしてるらしいんだけど、俺どうしようかなー。
 ところであんたの人生最近どーなのよ。夏休みって、終わる時、ありゃもう終わってる、って空しくなるのが唯一の欠点だと思う。で、そこにきて、やっぱり一日一日を大切に生きたいねってことになる。
 今ふと思ったこと。西きちの部屋って変わってないの?俺の知ってるやつと。今度、変えてみれば?配置とか、掃除とか。

2007年8月31日金曜日

時の流れは

これ書くのずいぶん久しぶりだなあ。チノっていう、うちの犬に子どもができました。チノは薄汚れてきてるけど、その子は真っ白まっさらです。ちなみに茅野夫人はまだ入院中です。名前はまだありませんが、ちんこがあるから男の子です。今日そいつにベッドの上でうんこ+おすぃっこされました。だけど、むちゃくちゃかわいい。誰かが僕に、てか集中くればいいじゃん、ふつーに。と言いました。よく考えれば不可能ではないんだけど、僕は半ちゃんじゃないし、それはやっぱりできません。でもそんな週末に限って、宿題とプレゼンの準備以外にさほどやることもなくダラダラしてしまう週末になってしまうもの。雨が降らない限り僕は絵を描きます。今でかい絵を描いています。近いうちにやりたいことがあります。それは、道路に絵を描くこと。殺伐としたアスファルトの上に。早稲田でもやろうかな。

 そうそう先週末PangasinanのDagupanの友達の家に行ったって言ったよね。そこで、その友達の甥と姪にあたる子供をはじめとする子供たちと仲良くなった。大家族が大きな家に住んでる。で、子供は英語が全く分からないから、意思疎通は苦労したけど、かなり打ち解けた。言葉だけじゃないね。姪のメイとは別れるのがつらかった。子供の笑顔って本当に世界で最も美しいものだと思います。。

 フォレストガンプ話もきれいだし画もきれいだよね。あれはどう考えても面白い映画だ。最近見てないから、若干おぼろげだけど。ちなみにフォレストガンプの小説の日本語版の訳は、インドに住んでた時の友達のお母さんの小川敏子って人のものだったと思う。ほんとどうでもいいけど、今でも名前覚えてる。奇遇にもLetters from Ioujima おれも最近見た。UP Film Instituteっていう大学内にある映画館で。なかなかでかい。

2007年7月26日木曜日

gustav klimtだってよ。

確かに容易な発言だよな。 ただ一つ言えるのはあんな夏は今までなかったってこと。もちろん一度として同じ夏はないわけなんだけれども、僕の人生の一大転機に据えるならあの夏だったろうなと思う。何かが良かったんだ。良し悪しはいつも主観的と言ってしまえばそれまでである。  良きものはそれ自体良さを含んでいる。何かしら絶対的なものを持っているからこそ、よかったと感じたのだと思いたい。でもいったい何が素晴らしかったんだろう。今ここで言葉にしようとしたら詰まってしまう。何を以て良しとするか、よいとは何かは、少なくとも今僕には答えられないが、何によって良しと思ったかは考えられる。背後にうごめく理由は霧の中だが、新しいもの新鮮なものをまさぐり求めている自分がいる。 もっと体系的で驚くような考えが頭をよぎったように思ったんだけど、これまでだったか。 いずれにせよ、ああ言ったのは、僕自身素晴らしいものだったと認識し、その認識によって自身のさらなる向上と発展に寄与することが目的であったことをご理解いただきたい。

2007年7月22日日曜日

写真の?

カラバオだよ!たぶん。この前の投稿読んで! やべえ、ベッドの上でドーナッツ食ってたら、ベッドの上に蟻の行列作っちまった。 ナツガはどうなの?もうかなり準備は進んでるわけ?

2007年7月20日金曜日

headache

saikinn kazegimi. hanamizu, kushani, zutsuu. インターネットはあのあと存外すぐに復旧しました。最近、家の周りにホタルがいることに気づいた。街中といえど、大学内は緑でいっぱいよ。ぽっと点いて、ふっと残像を描き消える。消えたと思ったらまた。本物のホタルなんて初めて見た。星みたいに白い光を放ってるんだ。
あ、でも丸亀なら、うようよいるか!
この前のClasSでPresentationとFreeなDiscussionがあったんだけど、ほとんどついてけなくて悔しかった。別にDiscussionについてけなかったのが悔しいんじゃなくて、言ってることが半分も理解できなかったのが。面白そうなこと言ってんのに、それがいまいちよくわかんない。Philipinoは皆EnglishがFluentなんだけどやっぱりTagalogをAppreciateするしってな感じなわけ。いずれにせよ、僕は、good at Neither 英語 Nor タガログ。その日僕はあふれんばかりのImpulseをもってClass no Readingを読んだ。でも今読んでるのは、本屋で買ったStephen Kingの小説。うぉぉおおおおって気持ちを持ちながらも、うぉぉおおおおって生き続けるのは難しいよね。

2007年7月17日火曜日

久しぶりに日本との交流

いつになったら、インターネットは復旧するんだろう?
木発ちで一人マニラを出た僕は昨日月曜の朝っぱらに再びマニラに戻ってきました。バスは椅子硬いし、ぎゅうぎゅうだし、道はでこぼこなのであまり眠れなかった。帰ってきてから宿題を終わらせ、こんなくそ眠い状態で授業なんて受けられるかと思って最初の授業に行ったら休講。
土曜の朝にはBanaueに着き一泊、次の日Bontoc経由でSagadaへ。そこでさらに一泊、帰りはBaguio経由(Baguio23:00発)でManilaに。
とにかく色んなことがあったんだけど、こと細かに書くことはしないよ。
でも怖かったのは、ライステラスのさらに上の方、山頂付近で水浴びしてる、野生のカラバオ(水牛?でっかい牛)に出くわしたこと。登山するつもりはなかったんだけど、トレッキングコースを歩くことにして、さらにその途中から上に延びる道を見つけて辿ってったら。ぶわっと冷や汗が出て慌てて引き返した。道の上には牛の踏みあとがたくさんあることに気づき、さらには獣臭がいやというほどしてくる。
コース外のライステラスも迷路みたいだった。下に下りて行きたいのに道がない。やっと見つけるのは、超急勾配の登山道ともいえない道。平行移動するのも両足そろえた幅くらいしかない堰兼通路。こんなところで人が働いてるもんかと疑いたくなるほどだった。
写真UPするのここだと時間かかりそうだからやめとく。
授業は英語とタガログ語についてくのがなかなかハードだけど、どうにかなりそうな気がする。
この前ゴミ箱の絵描いたらペンもらった。
じゃまた。バイバイ

2007年7月1日日曜日

正確には、LRT1とLRT2とMRT(LRT3)と、ルソン島南部まで通じる昔ながらの電車(名前忘れた)があるよ。 Miteは新人行ったっけ??クツ買う時にすでに雨具買うお金はなさそうって言ってた。それでクツ買うかどうかすらも相当迷ってた。でも雨具はどうにかなるよね。ようすけはなんで?甲子園ってまだ言ってんの? あ、そういった類の犯罪にはもう二度とかかんないから逆に安心だね。

歩き疲れた。頭痛くなった。

昨日、暇だったから、とりあえず電車に乗って終点に行った。マニラの中心部に近いところで、とにかく店がひしめき合ってるとこだった。「歩き方」によると、裏のほうに、この前知り合った人が通ってるSanto Thomas大学があるみたいだったから、行ってみた。真昼間だったから激しく暑かった。で、道端でよく売ってるパイナップルジュースを飲んだら頭が痛くなった。氷でキンキンに冷えていたから。それに大量の排気ガスも原因だったんだろう。 少し裏の方の路地を歩いてると、水たまりがまじで臭い。近くを流れる川幅2メートルくらいあるそこそこの川は、見た目からおぞましく、吐き気すらもよおすにおいがする。灰色をしてて多種多様のごみが浮いてる。みんな気にせず排水を垂れ流し、ゴミを捨ててるんだね。ここら辺は貧しい人もいっぱい暮らしてるとこみたいだ。ぼろっちいシャツを着た子供たちがいっぱい遊んでる、なかには裸の子もいる。駅は高い所にあったから、遠くまで広がるトタン屋根をながめることができた。のこぎりととんかちだけで作ったような三階があったりした。窓から延びるひもには、洗濯物がたくさん干してあって、なぜか屋根の上にはごみがたくさんある。 このちかくには東南アジア最大のスラム(?)があるらしい。無用な立ち入りは厳禁らしいけど行ってみようかな。

電車

さっき右の写真にもある電車に乗ってきた。 終点の一つ手前の駅で降りるつもりだったんだけど乗り過ごして終点まで行っちまった。 んで、戻ろうと思って乗り続けてたら、まさに右の写真のようにいい感じにUターンした。よかったのはそこまでで、電車は駅をスルーして走り始めた。車内には二人しかいなくて、不安になって聞いてみたらCUBAOって駅で停まるよって言った。さらにいくつか駅をとばして、ぼくはCUBAOって駅で降りた。そしたらそのおじさんも僕の降りるQUEZON AVENUEまでついてきた。たぶん駅員か何かなのかな。私服を着てたけど、降り口と違う方に歩いてった。僕は送ってくれたのかよく分からなかったけど、SARAMAT PO(ありがとう)と言って別れた。それだけの話。

2007年6月24日日曜日

ビール

昨日、Jeromeとその高校の友達と飲みに行きました。Jeromeは隣の部屋に住んでる人です。で、ビール、味が薄くてまずかった。マッチョってサイズを頼んだら。まさにピッチャーサイズのジョッキが出てきた。さらにそれに氷を入れるから最後はもっと薄くなる。でもとにかくたくさん飲んだ気がする。Jeromeは車を持ってます。だから帰りは余裕で飲酒運転。それはいいとして、彼らは英語とタガログ語を混ぜて話すんだけど、タガログだけになったりするから、何言ってんのか意味わかんないことも多々あった。

マヨン火山登山に向けて行動はしてるんだけど。いかんせん情報が得られないままです。観光局に行ったら、現地の観光局の電話番号を教えてくれて、それに電話したら、ツアーガイドについては教えてくれたけど、地形図とかは現地に行かないと無いって言われた。でっかい本屋に行ってもないし。登山なんてする人がまず極端に少ないんだろう。フィリピンの人、学生とかそうじゃない人とかに、フィリピンをあちこち回りたいって言うと、ほとんどの人が、自分は町から出たことすらないって言う。
マヨンについては週末の休みだけではどうにもできなそうだ。長めの休みのときに乗り込むしかない。バナウェとかタガイタイは近い週末に行きたいな。しかーし、いずれにせよ今俺にはお金がない!

例の公園にわたる、歩道橋をついに見つけました。中は何のことはないただのでっかい公園で、真ん中にはなんだかバカでかい白いモニュメントみたいなのがある。あとは、バドミントンしてる人、バレーボールしてる人、木の実を取ろうとしてる人、シートの上でゴロゴロしてる家族カップル、歌を歌ってる集団、草の上でゴロゴロする変な体操をする集団、散歩する人とかがいました。 帰りは道路を渡る方法も見つけました。

2007年6月19日火曜日

ummm

>法律が整ってなかったり、治安が悪い国のほうが本来の自然な姿を呈しているのかも。 うん。至極そういうことを感じるんだよね。 >でも、きれいな女の子にHi!!って声かけられるのは面白いね。その滑稽な光景。 なんで?!どういうこと?

watermelon seeds

スイカの種を食べてる。 ある程度乾燥されていて、塩気もある。 周りの殻は固いから、ちょうど梅干しの種の天神様みたいに固い殻をぱきっと割って中のを食べるんだ。 日本にあるスイカの種より大きさはある、といっても二倍くらい、だからあんまり可食部はない。

drunk!!!

土曜日曜と、まにらの中心manila bay, rizal parkに行きました。

写真は公園内の大通り、ラプラプ像正面から、同じく背面から。

マニラシティーに行く前にホームステイ先の母ちゃんから一つだけ注意されたことがありました。それは知らない人にはついていかないこと。最近催眠強盗やらが流行っているそうです。 Rizal parkは広くてきれいで、(公園内は。)Roxas streetという海岸線の通りはヤシの木が整然と立ち並び、高級ホテルが通りを挟んで並んでる。 土曜は、行きはよいよい、ジプニーをうまく乗りついでいったんだけど、帰り暗くなってからは大変でした。ジプニにはわからん地名がいっぱい書いてあって、どれに乗ればいいのやら。まよいながらいろんなひとにきいて遠回りしてUPにたどりつきました。ただ、海に沈むゆうやけはなかなかでした。

日曜はRizal Park (Luneta)の隣に続くIntramurosというスペイン統治時代の城壁内の町に行きました。立ち並ぶ高い壁のうえには錆びた大砲がずらーーと並んでて人の死を感じさせます。そこに入る前に道を聞いたおばさんに少し案内してもらいました。彼女には、息子と妹その子供たちがいました。一緒に見て回って、Metal Churchも見に行きました。そのあと飯を食おうといって彼らのうちに行きました。飯はとてもうまかったです。そんでもってビールも出てきました。おっきな瓶で。あんまり冷たくないので、氷を入れたりした飲みました。とにかくたくさん飲んだと思います。気が付いたら、従姉の一人に介抱されていました。濡れた付近で体をふいてくれました。もうべろべろであんまり覚えてないのですが、どうにかタクシーでUPにたどり着いていました。財布を見てみると、5000ペソほど無くなっていました。。 これが巷で噂の犯罪かと。非常に体で体感した次第です。

思うにお金といわず物ってのは高いところから低いところに転がっていくもので、例えば普通の店でも金持ちそうな客からには高い値段を吹っ掛けて、ぼったくる。金を持ってるやつはスリの対象になる。もちろん金を持ってない貧乏なやつはお金を取られるようなことはない。なんだ、これは非常に理にかなったことじゃないか。これこそ自然の摂理だよ。法律なんて、金のあるものが自分のそれを守るために作った。。。。

ケソンではなかなかなかったが、ここマニラシティだと色んな人に「日本人?!」って声かけられるし、きれいな女の子が「Hi!!」って寄ってくる。 そして物乞いの子供。こんなこと日本ではなかなか考えないだろう。お金を求めてるのはわかってるんだけど、あげたらほかの子にもあげなきゃなんないし、かといってあげないで無視するのもつらい。結局お金はあげなかった。でも!!!おまえおかねもってんだろ?!!!5ペソ、1ペソなんてはした金じゃないか。 シスターたちはあげてたよあんまりいい顔はしてなかったけど。。。

そういえば面白かったのが行きのジープ。ガンガン音楽かけてるジープ(Smoke on the waterとか)に白衣着たシスターたちが何事もないように座ってたんのがとても不釣り合いでおかしかった。車内はライブハウスの大きなスピーカーの前にいるみたいな大音量。降りた後しばらく鼓膜がおかしかった。

2007年6月16日土曜日

a week in UP

授業第一週目が終わりました。 むしろ二週目がはじまってますが。 結構アッサリナ感じだった。ただ、しっかり理解してやっていけるだろうか。 近くに座ったフレンドリーな人たちが助けてくれたりしたけど、こっちは英語もペラペラってわけじゃないし、むこうはいい感じにフィリピン語も織り交ぜてくるし。 ちょうど、国教の竹田青嗣の授業のようだ。

2007年6月12日火曜日

渡れない

今日夕方、比較的近くの、おそらく徒歩三十分くらいのQuezon Memorial Parkってのに行こうと思って歩いてった。若干暑さも和らいでたんだけど、夕方だけあって、ただでさえこんでる道路がさらに混雑していて、道路が渡れず行けなかった。あと一歩ってところ、道路一本を挟んだ向こう岸なのに行けなかった。たぶんジプニーを使えば道路を渡れんのかな。さらになんといっても排気ガスのすごさがのどをつく。
絵の上のドーナツの中が公園なんだけど、ドーナツが渡れなかった。ドーナツの周りの道は車が両方向に行けるんだけど、ど太いドーナツは一方通行なわけ(絵参照)。

途中、フィルコアPhilcoa(Philippine coconuts authority)のとこの市場もすごい活気だった。人も多いし、フルーツもたくさんある。っていうかフルーツばっかだった。ファーストフードの店もたくさん並んでんだけど、どの店の前にもドアマンがいてひっきりなしにドアを開け閉めしてる。

帰りは路地裏みたいなとこを通って帰った。帰りは違う道で帰ろうと思ったら、どんどん狭い道に入っていっちゃった。あまり広くない道路も渡るのが大変なんだよね。信号もないし。。。わかった!!!信号がないからだ!!そういえばこっちに来てから信号というものは空港のそばで一回見たきりだ。何かおかしいと思ってたら、そういうことだったんだ!

なるほどねー。で、一番細い路地には、またたくさんの家が並んでて。なんていうか、平屋、長屋みたいな。おっさんおばさんたちがトランプしてたり。バスケしてたり、子供がロウ石で道に絵を描いてたりするわけ。そこを鶏と猫が駆けてく感じ。

2007年6月10日日曜日

昨日ケーブルが届いたので、写真を少し撮りました。

これ、この前絵に描いたやつ。今日も似てる光景だったから写真に撮ってみたよ。


今日は昼前から、こっちでできた新しい友達たちとOrtigasというところのMega-mallに行きました。 丁度行く時にがっつり雨が降っていたので、道路はところどころ川になっていて、たまに横の車の作る水しぶきがジープの中にも入ってきます。それで非常におかしくって笑ってました。さらに初めて電車に乗りました。フィリピンには数えるほどしか電車は走ってないそうなのですが。こちらは強い雨の中でも非常に快適な旅でした。グーンと一気に加速して、すーっと走ります。乗り心地はさながら新幹線のようです。大きくてきれいな窓、清潔感漂う白系の、広告のない車内。公営なのだろうか?ドアもしっかり閉まってエアコンもきいてた。

ついた先にはすぐMallがあってこっちもエアコンが効いてる。今日は一日エアコンの中にいたみたいだ。遊んで、紙買ったりCD買ったりした。 帰りはしっかりどうやって帰るのかを覚えた。 なんだかまだこっちでの交通手段を使った移動が不慣れなんだ。 でもどんどん行動範囲が広がっていくのを感じる。

この前、メトロマニラの地図本を買った。今日それを持ってくのを忘れたのが悔やまれる。 僕の住むケソンシティはメトロマニラの中にある。マニラもメトロマニラの中にある。

そうそう、残念ながらカメラは持ってってないよ。 今度一人で行ってみよう。その時はカメラも持って。
おいらの住んでる通り。ここはキャンパス内だからなのか緑がいっぱい。
下はCollege of Architecture(UPだよ)の建物。

2007年6月8日金曜日

西部戦線異状なし

えいきちみたいに考えるのは、全然悪くないし、ありだと思うよ。おれがおれの好きなように生きて、思う存分好きなことをするのが、親のためになるとすら思うんだ。いや、そうおれは思いたいんだね。金がどうってわけじゃなく、心配してくれる人たちがいて、それに対して、何か返したいと思うわけだね。別に直接じゃなくても。なにか他人のためになることをするってことが美徳だと思うしかっこいいって思うことがあるんだよね。できればそうして生きたい。

西部戦線異状なし。観たことある??All Quiet on the Western Front.ショッキングな映画だったし、傑作というにふさわしい映画だった。1930年にこんな映画が出てるのに、また戦争は繰り返されるんだね。なんだか叫びだしたい気分になるね。おいらはこんな時代に生まれて、こんなに恵まれた生活をしている。別に望んで今を生きてるわけじゃないから、何かしなきゃいけない義務はないのだけれど。強迫観念にとらわれてるってわけでもない、だけどなんだか叫びださなきゃいけない気がするんだよね。ただ水につかってるだけじゃふやけてしまうよ。

やっと科目登録が終わり、午後から出かけようと思ったんだけど、ちょうど雨がザーザー降ってきて止むまで待とうと思った。で、ベッドに寝っころがったら、眠っちまった。起きたら夕方。一瞬やっちまったと思ったけど、なんだかとっても気持ちが良かった。

2007年6月7日木曜日

誰がために鐘は鳴る、観た。おもしろかった。けどそれだけだね。

最近ことに思うのが、自分て役に立ってないなあってこと。お金を出してもらって、自由なことをして、フィリピンにまで来させてもらって。まあバイトはしたけど、はした金だし、学費は結局親に払ってもらってるし。
いや、でも役に立つってどういうことだろう。ショッピングモールのエアコンで涼んでは、ガンガン煙りだすジープに乗って帰って、飯食って、うんこ出す。ご飯は残さないけど決して僕の存在が環境にプラスになってはいない。社会にとって?もちろんそんなことはないし。今の僕はきっと完全にマイナス要因でしかない気がするのである。 でもでも。ま、そんなもんか、と自分を納得させてしまうほどの力が僕にはあるのであるのである。

ほんとに毎日が夏です。セミがみんみん鳴いて、木陰が気持ちいい。今日は特に日射しが強く、日向を歩いていると肌がじりじり焼けるようでした。プールに入りたい、海に行きたい。プールは構内に一つあります。中は見えないんだけど、聞くと汚いらしい。でも我慢できないから今度入ってみようと思います。でもさらに聞くと近くにもたくさんあるようです。夏ですね。
汗をだらだらかくから、シャワーが気持ちいい。お湯は出ないけど、そんなの必要ないんです。毎日シャワーは浴びるから、日本にいたときよりきっと清潔ですね。

今日もジプニーに乗ったんだけど、そのジプニーが、満員のお客さんを乗せたままガソリンスタンドに入っていったんだ。びっくりしたんだけど怒り出すお客さんもいない。走ってるときは風も当たるから多少は涼しいんだけど停まってると暑い!みんな暑さに耐えながら、汗をふきふきガソリンが入るのを待つ。運転手は特に何も言わないし説明もしない。きっとこういうもんなんだろう。ほかの乗客はきっとそれが当たり前のことで、受け入れるも受け入れないもないんだろう。ジプニーは何事もなかったかのように出発して目的地に着いた。

あと蟻がわいたって話と鼠がちょこまかしてるって話があるけどどうでもいいや。

ジプニーはいつも満員だよ。乗る人がたくさんいるからってのもそうなんだけど、運転手は、お客さんが少ないと、お客さんが増えるまでなかなか出発しない。時刻表なんかないからね。だから待つんだ。そんなに急いでいる人はいないらしい。

2007年6月6日水曜日

また雨。

朝は晴れててめっちゃ暑かったのに。じょじょーーーっと雨。
そうそう、ジープ(ジプニイ)はそれぞれにコースとか行き先が決まってる。車体にでっかく書いてある。
大学内をぐるぐる回ってるだけのやつもある。それもたくさん。
バヤッドーって言って前の人にお金を渡して、降りるときはパーラって言う。運転手のそばに座ると、頻繁にお金を手渡して、またおつりを返さなきゃいけないから非常に面倒である。
カメラはうちにあったやつを持ってきてるんだけど、データを転送するコードを忘れた。
今度送ってもらおうかな。
一応携帯で写真は撮れるし(むしろ写真しかとれないけど、)、SDはPCで読み込める。
でも持ち歩いてなかった。画質も良くない。
フィリピンの人のこだわりかあ、見てる限りだとこだわりなんか微塵もなさそうだけどね。
なんか俺が言うのもなんだけどね、みんな子供っぽい気がする。おちゃらけてる感じ。東京外大から来た人とか、日本人にも何人か会ったんだけどすごい大人びてた。年齢もあるのかな、その日本人の人たちは二十一とか二とかだったんだけど、こっちの人では、四年生だけど十九歳の人とかもいたし。
フィリピンの都市、大学はQUEZON-CITYってとこにあるんだけど、大学内は計画された都市って感じを醸し出してる。でも大学を出ると、ずっがーーんとおっきい道路が通っていて、それに小さい道路がヒダみたいに生えてて人がごみごみと住んでるって感じ。おっきい道路のわきはヒトヒトヒト緑緑ヒト緑緑緑緑店ヒト店ヒト緑緑緑ヒトヒト店ヒトヒト店店店ヒト店店ヒト店ヒト店店店ヒトヒト緑緑って感じ。
ごめん今度もっとうまく説明するよ。
また晴れてきた。きのう書いた絵暮れかけだけどまだ明るい時間帯木の影、右夕方の雲、ピンク色

2007年6月3日日曜日

シャワー

そう、昨日夕方、いわゆるスコールってやつなのか、激しい夕立があった。どっーーーーーって。ちょうどレストランのオープンテラスの屋根のあるところに居たからよかったが、屋根のないとこの人はびしょぬれだった。次第に空は暗くなったが、ひしめく車の灯りで地面はまばゆいほどだった。おそろしいほどの人が、どこかに向かっていて、またどこからかやってきていた。皆それぞれ家があって、そこに帰るんだろう。どんな暮らしをして金を稼いでるかはそれぞれだろうが、ひとまずはどうにかやっていってるんだろう。 帰りはUP(University of the Philippines)行きのジープ乗り場が混んでいたので他の道で帰ろうということになった。よくある七人乗りくらいのワゴン車の内装が少し改造してあって十人乗りくらいになっている(仮にジープ改と呼ぶ)。僕はトランク部分から乗り込んだ。とにかく人が次々にわしわしと乗り込んでくる。だいたい行き場所が車体に描いてあるんだけど、みんな適当なところで降ろしてもらってる。僕らも適当なとこで降ろしてもらって、今度はトライシクルに乗り換える。これがまた半端ない。図を参照してほしいけど、普通の単車にサイドカーをどうにか取り付けたやつ。に、これまた人を押し込んで出発する。狭いサイドカーの中におれと見知らぬ人二人の合わせて三人が、イスはあるにはあるのだが体育座りみたいな姿勢で凸凹の道をゆられてく。なんだか異様な空間だった。たまに低い天井にガンと頭をぶつける。 夜で暗いし、どこをどう通ったんだか分からないうちに家のそばに到着していた。 料金は片道日本円で三十円くらい。これを人づてに運転手まで渡してもらう、おつりも人づて。 こういったジープやらトライシクルやらタクシーやらバスやらあふれんばかりに走っていて。道路はいつもパンク気味。大通りになると五車線くらいあり、パーパーぶーぶーっぴーぴークラクションの音がむっちゃうるさいし、もくもく排気ガスが出て空気もにごってる。車線があるといってもあってないようなもんで、隙間という隙間に車がどんどんはいりこんでくる。迷路の中を縫うように車がそれぞれ走ってる。そりゃクラクション鳴らさなきゃやってらんない。周りの車にゆずらさせなきゃ事故になるもの。さらにその間を単車や、物売りの人が通って行く。そんな一見の混沌でも波は意外とスムーズに行くべき方向に流れていく。まだ事故は見てない。不思議なんだけど、そんなもんか、と納得できた。 ただ、俺はそこでは運転できないと思った。いやひょっとしたら完全に秩序立った日本での運転に慣れただれもができないんじゃないか。日本にいることで俺は能力を一つ失ったんじゃないかと思った。

I AM UNCO

今日昼間にペイントで描いた絵。 あっつい太陽のもとぐんぐんもりあがる雲。 夕方、Lyna(ホームステイ先の娘)につれられて、彼女の友達とSMモール、TRI NOMA、というバカでかいショッピングセンターに行き。夕飯を食ったりした。

面白いのが、そこに行くまで(おそらく二十分くらい)の交通手段。 行きはジープを乗り継いで行った。

眠いのでまた明日やります。 今日は満月。

To ......

Thanks for your mail. I’ve started my Blog. あれ対山だね。もっと触れちゃいけない部分に触れてるかと思ったら、そうじゃなかった。 ただ、あれ読んでおれも改めて行ってよかったって思った。 今なら、あの山行はなるべくしてああなったって言えるね。 当時は偶然の重なりに心躍らせてた。偶然の山行、偶然の仲間、偶然の道のり、偶然の妥協。 運命なんて信じたくないけど、出会いに感謝。

まだ授業はじまってないから相当のんびりしてる。 手帖には、あったこととか思ったこととか少しは書き留めてるんだ。 元来俺って話をするときも、何度も言葉や文章を反芻してそれからやっと口をついて出てくるってことが多くあるし、さほど重要なことじゃないと思い返して心に秘めとくことも多い。(もちろんそうじゃない時もあるが) だからって何をここに書くかってこととはそんなに関係ないんだけど、 せっかくだから、感じたこと、何でもないことを書こう。