2007年10月19日金曜日
田舎
えーと、二年会議とやらやったらしいね。はんちゃんにいつかやるからやる時には参加してねって言われてたけど、ちょうどそのあたりで、出かけてました。メインに田舎Zambales州のIbaのさらに田舎のちっこい農村に行ってきました。知り合いたずねて行ったんだけど、バス何本も乗り継いで、さらに車道から山道みたいなのを三十分くらい歩いてたどり着いたのは、すぐ横に海のある、とっても静かなマンゴーと米の村。面白くてきれいで写真撮ろうともうことは数多くあったのですが、あいにく持っていかず。
電気はぎりでと通ってるんだけど、水はしばらく歩いた田んぼの真ん中の手こぎポンプからしか取れない。毎日みんな水運んでる。海でべとついた体はポンプから直に洗う。田んぼの真ん中の水浴びはなんだか気持ちい。夜は真っ暗、星がほんとにたくさんで、山を思い出したり、にやにや。ここで小学生三兄弟と仲良くなって一緒に海いったり、近くをあちこち連れてってもらったんだけど、夜は、普通にお酒を飲んでました。静かで空気も良くて素敵なところなんだけど、住んでる人には退屈なところなのかもしれない。現に自分も三日目帰る日には飽きてきていたし。木の枝にくくりつけたブランコ、バスケ、海、手作りのかっこいいパチンコで魚打ち、いくつかの家にはテレビ。でも、それだけといえば、それだけみたいなもんだし、お菓子もあんまりない。やっぱりこの子たちも大きくなったら外に出て行ったりするのかなあって考えたりしました。
ちなみに米どころだけあってか米がむしょうにおいしかった。大人たちは農業の傍ら(苗植えと収穫時期以外はほとんどやることない)、近所の大養魚場に雇われ働いてるらしい。学校は車道まで出てさらにそっからまたしばらく歩いた、ずいぶん遠いところにあるらしい。
当初、ピナツボ火山とその傷跡を見に行くというのが予定のひとつだった。地図で見るとここらへんも案外遠くないみたいだったから、どうかな、って期待してたんだけどなんてこともなく、唯一異常だったのは、川ぐらいだった。そこで、アンヘレスってとこを目指すことにしたんだけど、途中、有名だし、仕方ないから寄っとくかって気持ちで、立ち寄ったスービックで長居することに。港にはアメリカのでっけー軍艦が停まってて、素直にかっこいーって思いました。甲板にはたくさんのアメリカ兵がいてボールを投げたりして遊んでる人たちもいました。夕暮れ時になると、僕のいた港公園みたいなところのフィリピン国旗を降納するため、警官がやってきて、僕も起立させられました。ふーん、こんなもんかあって思ってたら、今度は船の上でもそれがはじまり、アメリカ兵たちは敬礼、星条旗が降ろされていくのでした。なんだか、この場面が妙におもしろおかしかったです。最近フィリピンでは、愛国教育みたいのが重要視され実行されてるようです。英語に支配され(実際、現地の人は現地の言葉で会話することが多いのですが、それでも、英語の権力、権威は脅威的なのです)、アメリカ文化に染められそうなフィリピンに不安を抱く人たちも少なくないよう。
ちなみに、その夜泊まったのは、そこの港で知り合った、兄ちゃんち。もちろん前のこともあったし、結構警戒はしてました。今日ここを発つつもりだって言ったら、今日泊って明日の朝行けばいいじゃんっていう兄ちゃんに、もうなるようになれって思ってついていきました。警戒するのもいいけど、あんまり警戒ばっかしてたら面白くないだろ!結果的には、何事もなくて、また来いよなーって別れました。今になっては、あの時あんなに疑ってた自分が恥ずかしいくらいです。出されたコーラも溶かし込んだものが見えにくいように黒い飲み物にしたのか、って思ったりとか笑。
さらに、面白いのが、この家族。姉ちゃんがアメリカ人の夫持ち(さすがスービック)で、その姉と母親は一年の大半をアメリカで暮らしてるらしい。で、この兄ちゃん自分もアメリカ行けばいいのに行ったことないのには理由があって、彼、シャブも扱う真珠売りで、過去三回窃盗とかで投獄されててパスポート下りないそうな。笑。これ初めに聞いてたらさすがに行かなかったけど、家に行ってから聞かされたんじゃ覚悟決めるしかないよね。母親は、うちは何にもトラブルがなくて、良い家族なんだって妙に連呼してたのが逆に超怪しかった。ちなみにちなむと、この家を含むそこらへんは数少ないイスラム教の集落でした。
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